健全で美しい世界は居心地が良い

ここ2年~3年ほどご無沙汰していた友人と、久しぶりに連絡をとった。そのときに、彼に「ここ何年かで増えた転生してチートで無双みたいなジャンルってどう思う?」と訊かれて、さて自分はどう思ってるんだろう、と考えた。

転生してチートで無双。そういう系統のものが増えているというのはなんとなく知っていたけれど、まったく触手が動かないので「ふーん」という感じで、誰かに言われなければ視界のすみっこにも入ってこないものだった。CSで放送されていた『昼顔』の映画の方が自分には近しさを感じる。うっかり最後まで観ちゃったし。

友人には特に何も思わないと返事をしたが、気になって後からネットで検索していろいろと眺めてみた。

そのなかで、転生してチートで無双、的なものを求めている人は「現実がしんどいからフィクションの中でまでがんばりたくないと思っている」のだろうという分析(?)を見つけた。そう思っている層は30代、40代くらいが多いのではないかとも書いてかった。実際、40代の男性が主人公の異世界転生ものもあるらしい。

そっかー。30代、アラフォーの私としては、わからないでもない。
仕事で評価されていればキャリアアップに給与アップ。会社に自分の声が通りやすくなり、社内で新しい仕事を作っていくこともできる。この年代でがんばって働く先にそういうものが見えない状態だと、これからも何も変わらない気がして、がんばるのはしんどい、と思う人はいるだろうなあ。

みたいなことを考えていたときに、この記事を見た。

「これ以上、王道の漫画はない」――荒木飛呂彦が「ジョジョ」を描き続ける理由 - Yahoo!ニュース

「『人間は素晴らしい』という前向きな肯定です。何かの困難に遭ったとき、それを解決し、道を切り拓いていくのは人間の力によるのであって、そこで急に神様が来て助けてくれたり、魔法の剣が突然落ちてきて、拾って戦ったら勝ってしまった、という都合のいい偶然は『ジョジョ』ではけっして起こりません」(『荒木飛呂彦の漫画術』から)

少年漫画の登場人物は常に前向きでなくてはいけないというのがルールです。後ろ向きになる、闘うことを悩み続けるというマイナスな要素を入れ込むと、読者はうんざりしてしまう。『ジョジョ』はこのルールに忠実にのっとっている。だから、王道だと言ってきました。主人公たちを過酷な状況に追い込み、成長しながら道を切り開かせる。闘うときに、偶然や誰かに頼っているようでは『ジョジョ』は成立しません。1人で立ち向かわなければいけないのです

現実では必ず勝てるわけではない。そう知っているから、がんばり尽くす前に妥協したり諦めたことは少なくない。でも、砕け散る覚悟でがんばり尽くしてみたいという憧れはある。度胸がない。

だからこそ、「常に前向き」で「成長しながら道を切り開く」のは気持ちが良い。現実のままならない部分に凹んだ心を癒やすには、健全で美しいものを求めたくなる。

なるほど、私がチート無双な世界に興味を持たなかったのは、そこに自分が心地良く感じるものが無いだろうと思うからなのか。

フィクションの中でくらい、妥協も諦めもせずにいたい。「がんばらずにいられる」世界が求められるように、「とことんがんばれる」世界も求められている。

ジョジョ5部のアニメ、楽しみです。